ちいちゃんの昔話

私も同じ人間なのです

久しぶりに日記のバインダーを広げていただき日記を読む。
 
いつもながら思うのだが、悩みの種は大きく変わらず、
 
大きく目の前にはだかっている様に思う。
 
そのことをよく思い、肝に銘じてコミュニケーションを図らなければと痛感。
 
 
 
 
 
私は色々な方々が生活上のすべてを支えてくださっている。
 
沢山の人と交わることになり、その中で皆さんの前で
 
好い所だけを見せてばかりも居れない。
 
一人ずつ変えても話も出来ませんし、すると、本質だけ、裏表もなく、
 
地のまま私でなければ、生活がなりたたない。
 
しかし、相手の方も人間、様々で摩擦も生じて来て、その為私自身も
 
非常に敏感に反応しざるをえんようになって来る。
 
その中で、お互いに少しずつ違和感を覚えはじめて、その場は
 
気まずくなり、聞いてよいか、話してよいものか、悩んだ末、
 
その事に触れずにおこうとされるし、してしまう。
 
私自身も知って欲しい部分と、触れて欲しくない部分があって、
 
この境界線は目で見えないだけに難しいです。
 
でも、「聞いてください。話しますから」
 
話さなければ、聞かなければ、分からないですからね。
 
私自身も理解者ばかりと勝手に思ってしまったりして、
 
過信する事もあり、すると様々で大変な目に合う事もある。
 
分かってくれるだろう、分かっているだろうとは、大きな間違えで、摩擦のもと。
 
私から言わせてもらうと、五体満足とは言いがかいかも知れないが、
 
現在、目、耳、鼻、口も動き、同じ人間なのです。
 
同じ空気を吸って、同じ物を食べて、同じ物を排出する。
 
だから人間であり、生きていると云うことなのです。
 
何故、周りの人は錯覚か誤解なのか、触れないことや内気が
 
美徳のように、その事を守っていらっしゃるように見えてしまう。
 
 
私自身、普通に付き合ってくださるのが、一番嬉しいのです。
 
皆さんが感じたり、思ったりするように私も同じなのです。
 
普通に生きているのですと伝えたいのです。
 
 
 
 
 
それにしても、昔の自分の言葉の文章を読むと、ちょっと面白くなり、
 
育っている部分も見えたり、育っていない部分も見えて努力がいるという事を
 
考えてしまった。
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小柴 千鶴

えがお株式会社代表取締役、NPO法人夢ハウス理事長。 27歳のとき進行性筋ジストロフィー発症との診断を受ける。 さまざまな困難を乗り越えながら「ITであれば障害者でも仕事ができる」と思いたち「小規模作業所夢ハウス」をスタート。

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