ちいちゃんの昔話

(2)就労への道のり

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2002年 掲載

(2)就労への道のり

私が仕事を辞めた後の生活は障害者として見事に転身、明けても暮れてもテレビみる、新聞を読むだけの単調な日課だったのです。

その当時、これも障害者だから仕方がないと自ら納得させいたものの、
しかし、いつまでも自分の気持ちを偽ること、この環境に甘んじて、気持ちは抑えることができなく、
もがき苦しみ続けていたのです。

私は以前、就労をしていたときの環境に戻し、仕事がしたかった。
障害はあるが言葉で伝えることは出来る。耳があり聞くこともできる。
乗り越えられない壁を改善すれば、車椅子に乗っていても仕事は立派にできる、仕事は再開できると言い聞かせ確信していた。

もう一度、仕事を始めるために挑戦を試みる。
しかし、仕事の紹介を受けるために出向いても、車椅子の姿を見ただけで、
あなたには無理でしょうと理由にならない理由を並べられて、相手にもしてもらえず、
紹介を受けることなく、まず仕事への一歩目からつまずき、歯軋りをして諦めるしかなかった。

私は会社に勤めて要る間は、自分が障害者であっても障害者として意識する事はなく、仕事を辞めたことにより、初めて(障害)ということを意識することになる。

障害者に転身をした時、以前との違いすぎる環境の中、
今まで味わったことがない(障害者)という目に見えない烙印、
大きな障壁となって立ち塞がり、その強烈な衝撃を改めて味わうこととなる。
 
尚、誰からも助けがないとわかってからも、いきがい、仕事ということを諦めることできず、
模索をし続けて、自らがもっと動くしかないと悟るとともに、その壁に新たなる挑戦意欲がわいてきた。

私はパソコンが操作でき始め、ITを始めた時、何かできる、 障害者の環境下での仕事、就労に結びつけることが必ずあるはずと感じ、情報を得ようとアンテナを張っていた。

そこにパソコンでできる議事録、講演などのテープおこしのいう仕事が入って、当事者の努力と周りの協力により仕事が可能になった。

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小柴 千鶴

えがお株式会社代表取締役、NPO法人夢ハウス理事長。 27歳のとき進行性筋ジストロフィー発症との診断を受ける。 さまざまな困難を乗り越えながら「ITであれば障害者でも仕事ができる」と思いたち「小規模作業所夢ハウス」をスタート。

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