ちいちゃんの昔話

なぜ、任侠映画なのか

 
25年前になるだろうか、夫婦で隔離されたような生活環境、
 
歳をとる、障害を抱えると環境がどのようなものか想像たりできなかった。
 
 
現実、自分自身そのような立場に置かれてみると、
 
歩けないと動けない、動ないとすべてにわたり制約がでる。
 
トイレに行きたくても行けない。いけないということは・・・・・
 
そばにトイレを準備しても立てない。
 
トイレをしたとしても始末さえもできない
 
手が動かせない、動かせないということは食事も自分でできない。
 
喉が渇いても水すら飲むことすらできない。
 
 
それらは、元気であれば何のためらいや遠慮もなく、あたりまえに行い済ますことである。
 
 
それらを失い、環境は今までとは一転してしまう。
 
孤独、疎外感から、社会や家族への思いも大きく違い始め、
 
なんでやぁ・・・・・・
 
今までのすべで消えてしまった。
 
社会からはじき出された感じ、その怖さ、それまで味わったことのない恐怖感であった。
 
その環境を冷静にとらえれば、入ったことはないが、刑務所とはこのようなものように感じた。
 
 
その様な中、悶々としていたところ、テレビで、新聞でも心をなだめるものにならなかった。
 
忘れもしない任侠映画を三本借りてみた。
 
 
 
最近、気づかされる、なぜ、任侠映画なのであったか?
 
喧嘩や争いが嫌い怖いことから、身を細めてしまう。
 
だから、任侠映画を見るわけが考えにくい。
 
でも、その当時、テレビで志村けんの馬鹿殿を観て、夫婦で笑ってしまった。
 
 
笑うことまでも忘れていことに気付く、
 
その後、数年そのテレビを見ていた。
 
 
 
なにか、気持ちが吹っ切れるようなものがあったのだと思う。
 
その気持ち、今は薄れ・・・・。
 
 
 
 
 
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小柴 千鶴

えがお株式会社代表取締役、NPO法人夢ハウス理事長。 27歳のとき進行性筋ジストロフィー発症との診断を受ける。 さまざまな困難を乗り越えながら「ITであれば障害者でも仕事ができる」と思いたち「小規模作業所夢ハウス」をスタート。

  1. 最大限の努力

  2. スランプ

  3. 生きにくい

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